角田ハヤ子さんを偲んで
“飯塚の肝っ玉かあさん”
高校4回生 石 﨑 憲 司
角田ハヤ子さん(高女31回卒、旧姓 野上)は、気っ風のいい根っからの「川筋女」だった。
飯塚井筒屋を退職されたあと、飯塚市の歓楽街・樽屋町界隈の一角にしゃれたカウンターバー「たまゆら」を開いた。当時、西日本新聞筑豊総局(飯塚市)勤務だった私は若い記者たちを連れて足繁く通う常連になった。
だらしなく酔った客にはハヤ子さんの「あんた、しゃんとせんね!」の声が飛んだ。この一発で酔客が正気に戻る。こんな時、小柄なハヤ子さんは二倍にも三倍にも大きく見え、威厳があった。
勝気な気性の一方で、困った人の相談には親身になって応じ、手厚く世話をすることで「飯塚の肝っ玉母さん」と呼ぶハヤ子ファンも多かった。その一人が角田(すみた)実さんで91年に結婚、大野城市に移られた。
私も本社社会部に転勤となり、久し振りに再会した時の一番の話が同窓会福岡支部づくりだった。ハヤ子さんは大乗り気で早速、高女時代の同期や先輩に連絡して、賛成と参加を取り付けてくれた大功労者である。
1994年10月1日。福岡支部誕生の総会は、縁起のいい謡曲「鶴亀」を格調高く舞うハヤ子さんのお仕舞で開幕した。そして、支部総会はハヤ子さんのお仕舞で始まる慣例が定着した。が、ご主人に先立たれたハヤ子さんは、妹の野上直江さん(高校4回生)と暮らすことを楽しみに帰郷された。
令和の新しい年を迎えて間もなく病に倒れ、小柄な体で人のために奮闘を尽くしたすべての力が抜けたように、89歳の生涯を閉じた。残念の極みである。
合掌
【 在りし日の角田ハヤ子さん 】
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観世流 仕舞「難波」
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祝いの舞「猩々」
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祝いの舞「猩々」
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お謡い「猩々」
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